永禄3年(1560年)5月、
上洛を目指した駿河の今川義元は大軍を率い尾張へ侵攻。
織田軍は兵力5,000人で防戦するが、
松平元康、のちの徳川家康率いる三河勢を先鋒とした今川軍は、
織田軍の拠点を次々と陥落させていった。
永禄3年(1560年)5月19日
織田信長率いる本隊が出陣。
熱田神宮で戦勝祈願をおこなった信長軍は、
兵3,000人と共に善照寺砦に入り、
敵情視察をしていた者の報告を受ける。
今川軍の進軍は戦の陣形ではなく、
縦長に伸びきった状態での進軍であった。
13時頃、前がまともに見えないほどの、今で言う
ゲリラ豪雨になり、
ゲリラ豪雨?この時代も温暖化だったんか??
だったら、ず~っと温暖化って事じゃね~のか?
温暖化問題って戦国時代からって事なんか?
なんじゃそりゃそりゃ。
信長軍はこれに乗じて兵を進め、
雨が止んだ直後の14時頃、
信長軍は義元が休息している
本隊の横っ腹に奇襲をかけた。
今川軍の総勢は2万とも4万とも言われているが、
義元を守る実質兵力は5,000から6,000人しかおらず、
両軍の戦力が同じ位だったため乱戦となったが、
攻める信長軍の勢いが強かった。
義元は輿を捨て300騎の護衛隊に周りを囲まれながら
騎馬で退却しようとしたが、
毛利新介良勝によって討ち取られ、
今川軍は駿河国に退却した。