5月17日の主要武将の状態は、
丹羽長秀は四国攻略に向け大阪で準備中。
柴田勝家が北陸方面を攻略中。
滝川一益は上野方面から越後を攻略中。
羽柴秀吉は備中高松城を水攻め中。
徳川家康は安土桃山城を訪問中
で、問題の
明智光秀は安土桃山城に訪問中の徳川家康を接待中。
その徳川家康の接待中に、
羽柴秀吉の使者が来て援軍を依頼。
信長は明智光秀の徳川家康への接待役の任を解き、
近江・丹波の所領を召上げ出雲・石見を切り取りしだいつかわすと、
言われたとか言われなかったとか。
秀吉への援軍に向かうよう命じ、
信長出陣の露払いとして備中高松城に先発した。
はずだったが、
備中高松城に行ってるはずの明智光秀は
京都の愛宕山でうろうろ~うろうろ。
6月2日突如、敵は本能寺にあり!って言って、
織田信長の宿泊先、本能寺を強襲。
光秀が先発してんだったら備中高松城まで
敵はいないだろう、いたとしても光秀が退治しているだろうって思ってる信長は
手勢100人ほどしか連れて行っていなかった。
んなもんだったから、光秀が攻めてきた時には信長自身が槍・弓を手に奮戦したけど、
多勢に無勢、自ら火を放ち、燃え盛る炎の中、
人間50年なんたらかんたらって能を舞って自害した。
なぜ、明智光秀が織田信長を本能寺で襲ったのか、
ドラマや映画、小説で面白おかしくやってるけど、
真実はどうだったんだろう。
妻と長男を殺された
徳川家康の陰謀。
近衛前久が朝廷の権威を軽んじていた信長を排除。
明智光秀の所領没収と移封問題。
羽柴秀吉が裏で画策。
永遠の謎である。
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