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織田信長 本能寺の変の真実判明?

本能寺の変といえば、

天下統一を目前にしていた織田信長

家臣の明智光秀がまさかの謀反を起こし、

その後の混乱を招いたクーデターのことですよね。


本能寺炎上.jpg


この本能寺の変ついて、

織田信長を亡き者にしたいと策略していたのは、

光秀だけではなかったとされる噂が

長い間されてきました。

真実はいったいどれなのでしょうか。


織田信長 本能寺の変 秀吉や家康らの黒幕説



まずは秀吉。

本能寺の変が起きた当時、秀吉は中国攻めの為に

毛利家と戦をしていた。


秀吉.jpg


しかし、事件の一報を聞くと、毛利家とすぐに和睦し、

本能寺へと向かった。


これが世に言う【中国大返し】だ。


今戦っている相手に、



急用できた。帰る」っておかしくないか?



命がけの戦いの最中です。



このことから、事前に本能寺へ戻る準備がなされた上での

形上の中国攻めだったのかも。。



そもそも、毛利と秀吉は仲が良かったとの説もある。


信長亡き後の事を考え、光秀の立場や感情を利用した

秀吉の黒幕説、真実はいかに。。

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ちょっと休憩。。。

こんなもの発見してしまいました。すごくないですかこれ。。

一升瓶なんかに被せる甲冑です。カッチョエー!!



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では続き



家康説はどうだろうか。

徳川家康.jpg


徳川家康は、幼少の頃は人質として、

そして信長と同盟。


大名とはなっていたが、

実際は織田信長の言いなりのような状態。


家康の妻と息子を織田信長の不信感から切腹を命じられ、実行させる。


妻と息子を自害させた相手を憎まずにいられようか。。。


その後も家康は信長に協力していくが、

腹の中はわからない。

「鳴くまで待とう・ホトトギス」はこの本能寺の変の時点でも

当てはまる言葉かもしれない。



策略家で、人の心を扇動する力に長けていた家康が、

明智光秀の心を周囲から動かしたという説もある。

これまた真実はいかにってところだろう。



これらの黒幕説とは別に、

本能寺の変は、単に火の不始末が原因?という説もある。

これは、あるホームページで書かれた悪い冗談のようだ。。




明智光秀は自分を評価してくれない上に、

いじめる織田信長が嫌いだったという理由だけだったのか。。


明智光秀.jpg


天下人になるという目標は感じられない。

黒幕説が真実ならば、織田信長が、

もしいなかったらどうなのか、

というシュミレーションができた人物が怪しい。



真実はわかりません。

いろいろ考えるのって楽しいですよね。


タイムマシーンで過去に行ければね。。。

タイムマシン.JPG

ということで、

織田信長 本能寺の変の真実について、

ちょっと想像(創造)してみました。。。。



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